「思い残し」という言葉があります。
一番最初に「思い残し」を意識したのは、高●の古文の授業。
平安時代の貴族は浄土教を信仰していて、死んで極楽にいくことを願っ
ていました。
しかし、死ぬまぎわ、現生に「思い残し」、例えば恋愛の相手とか、自分の
子供とか、親より早く死ぬこととか、そんな悔いが残ると極楽に行けないと思
っていたんだ、と先生が説明してくれました。
そのとき私は「あーなんか地縛霊みたいな話だな。
そんなこと平安時代にもあったんだなー」と思いましたが、ただ1000年
も前から人間にとって「思い残し」が大問題なんだということをうっすらと
心に留めました。
そしてそれからだいぶん時間がたちましたが、いま思うのは「思い残して
きたきたことが私をつくっている」ということです。
幸か不幸かわかりませんが。
私は中学時代にR子さんという女性が大好きでした。
まあ今考えれば好きをを超えて崇拝していた、に近い感情だったかもしれません。
ただ、R子さんには私の好意を告げることすらできませんでした。
臆病な私は告白して傷つきたくないという気持ちもとても強くて。
R子さんに対する気持ちは10代、20代のころは整理していたつもりなんです。
しかし、今はR子さんとの恋が実らなかったことが、私の人生を左右していると強く
思うようになりました。
私は軽度のオートガイネフィリアだと思っています
が、やはり「私のなりたい女性」は嫁でも母親でもなくR子さんなんです。
R子さんに対する「思い残し」がいまでも毎日私の生活を支配していると思うと、
恐ろしいような、せつないような気分です。