コメントの返信にも書いたのですが。
ほんとうに人の性的な妄想、欲望は多岐にわたっていて興味は尽きません。
なんでわたしは脚フェチになってしまったんでしょう?
なんでこんなに体操服とブルマーが好きなんでしょう?
大作家である谷崎潤一郎は脚ではなく「足」フェチでした。
最晩年の作品「瘋癲老人日記」
自身がモデルの足フェチM老人が息子の嫁の足にとりつかれる姿がもう・・・・・・
ひと昔前の言い方を借りれば「わかりみがすごすぎる」ってヤツですね・・・・・・
老人は高価な宝石を買い与え、かわりに義理の娘の足を楽しみます。
私にはこんなことはできませんが、妄想の中でなんでもできるとしたら・・・・・・
私の好きなタイプの女の子に体操服、ブルマーを着けてもらい、ひがないち日眺めていることでしょうね・・・・・・
掃除してもらったり。洗い物をしてもらったり。洗濯物をほしてもらったり。
そんな姿をただ見ていたい・・・・・・
ま、そんなことは現実性がゼロなので、妄想だけで終わるわけです。
小説「瘋癲老人日記」の主人公は高血圧で、今度血圧がある数値を超えたら命の保証はできない、と言われています。
それでも義娘の足と戯れる老人・・・・・・
すさまじいですが、心情はわかりすぎるくらいわかります。
人の性生活とはそれくらい、人生の中で大きな部分を占めているんで、ないがしろにはできないのですが。
あけましておめでとうございます。
2025年が皆様にとって素晴らしいものになりますように。