とある男性小説家のエッセイについて思い出しました。
作家が高●生時代、放課後、女子のレクリエーションとしてソフトボールが行われることがあったそうです。
そしてそういうときにその作家必ずはピッチャーを任されていたそうです。
むちゃくちゃうらやましい。
女子の中には打ちごろのゾーンに打ちごろのボールを投げられる子がいなかったそうで。
彼女らがつぎつぎに打席に立って、バカスカ打ちまくられるわけですが、Mな私にはそれも羨望の対象です。
女△徒たちはみんな校内で「アトムパンツ」と呼ばれる、黒の3分丈ほどのショーティをはいていたそうで。
その「アトムパンツ」について、作家は「ブルマーのような抑圧されたものではなく」と書いていました。
筆者の生年から考えると昭和30年代中頃の話だと思います。
そうエッセイに書いたとき、彼の頭のなかにはどんなブルマーが描かれていたのでしょうか?
年代的には、「チョウチン型」の可能性もあります。
それとも「ピッタリブルマー」だったのか・・・・・・
そしてなぜブルマーを「抑圧されたもの」と表現したのでしょうか?
私の推測では、裾が閉じられているかどうか、ということなんだろうと思います。
普通の短パン型のショーティーなら、太もも部が閉じられてはいませんから。
そのことを言っていて、そして同級生の女の子たちが非常に快活で健康的であった、ということを書きたかったのかな、と思いました。
わたしにとっては「ピッタリ型ブルマー」こそが開放的であり、現在普及している、ハーフパンツとやらは非常にきゅうくつで抑圧された管理的なシロモノという印象なのですが。
どうなんでしょうね。